白浜海岸の近くには「ビール神社」と呼ばれる神社があります。正式名称は鹿嶋神社で、室町時代に建設され、現在でも健在です。
2011年には、東日本大震災の被害にあい、神殿時代は津波で流されてしまいました。しかしながら、祠(ほこら)は無事で今でもお参りできるようになっています。
ビール神社はビール好きの聖地としても広く知られています。石巻や白浜エリアにお出かけをする際には是非立ち寄ってみてください。
ビール神社は鹿嶋神社のこと
正式名称 | 鹿嶋神社 (かしまじんじゃ) |
住所 | 〒986-0201 宮城県石巻市北上町十三浜白浜227 |
ビール神社は正式名称は「鹿嶋神社」といいます。室町時代に建立され、のちにその地域の産土神として信仰されるようになりました。
場所は石巻市北上町にあり、石巻駅から車で40分程度離れた場所にあります。近くには白浜海水浴場もあります。
ビール神社の歴史と由来|なぜビール神社と呼ばれるようになったのか?
ビール神社は、かつて大飢饉が続いた時期に麦酒をお供え物としたことに由来とされています。ビール神社の歴史を知ることで、神社へのお参りも一層趣深いものとなるはずです。
ここでは、ビール神社の歴史を7コマで紹介していきます。歴史に対する理解も深まるので一緒に確認していきましょう。
石巻北上町は北上川が海に流れ込む場所に位置しています。大雨がふると堤防が決壊して水害になることも。水田や畑は泥海のように被害を受けて、お米が収穫できなくなるいうこともありました。
被害が大きくなると大飢餓が発生して、この地域の人々の悩みの種になっていました。
北上町地域では、ビール神社は村人の産土神として祀られていました。毎年、お米からお神酒を作り出してお供えしていました。
しかし、米が不作となったことでお酒が造れない事態となりました。村人たちは、困り果てて集会を開きました。
農民同士で話し合った結果、麦や栗を使ったお神酒をお供え物にするという結論に至りました。この年、例祭は麦酒を使って無事終えることができました。
麦酒で例祭をやったおかげか、その後はお米の収穫が元通りできるようになりました。
北上町の人達は大喜び。かつてからやっていたようにお米の収穫を再開することに。
ビール神社への供え物は、お米から作りだしたお神酒。生活が元通りになったのも産土神のおかげということで農民は感謝をしていました。
元の生活に戻ったのも束の間。村人たちは流行病や飢餓に悩まされることに。村人は、栗や穂の実り、麦で飢えを凌いで活きてきました。
流行り病や飢餓が過ぎ去った後、飢えを凌いでこられたのは、ビール神社の産土神のおかげではないかと皆で考えていました。
その後、神様へお供え物を渡す際には麦酒(ビール)でもって行うことと決められました。
ビール神社が受けた東日本大震災の被害
ビール神社は東日本大震災の津波で、杜殿(しゃでん)は流されてしまいました。ほこらは無事に残っていため、屋根で復旧処置が施されました。
また、参道や階段は津波の被害を抑えるために埋め立てられ、土地はかさ上げされました。現在は、駐車場からすぐに歩いて行けるようになっています。
震災前の様子と現在の写真を比較してみてください。
ビール神社周辺には白浜海水浴場もある!
ビール神社の周りには白浜海水浴場があります。白浜海水浴場までは徒歩1分で行けるぐらいすぐそばにあります。
ビール神社をお参りした後に白浜海水浴場でちょっと休憩するのもいいかもしれませんね。白浜海水浴場では自動販売機や新しい公衆トイレや雨、屋根付きのベンチもあります。
白浜海水浴場は地元に大切にされて、震災から復興した海水浴場でもあります。ビール神社にお参りをしながら、ぜひ海水浴場でリフレッシュしてみてくださいね。
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【まとめ】ビール神社は歴史を感じて巡礼すべし!
ビール神社は何かと発見が多い神社です!
鹿嶋神社がビール神社と呼ばれるようなったのは、かつてビールを神酒としてお供えしてきたことが由来しています。
東日本大震災の被害でスケールダウンはしてしまいましたが、多くの歴史が詰まっています。
ビール神社は石巻では名の知れた神社です。ビール神社の独特な文化を感じながら、お参りをすればきっと趣深いお参りになりますよ!
P.S. 神社としては物寂しい感はありますが、多くの観光客が参拝していっています!
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